非合理な常識を
テクノロジーで変えていく

河端 保志

取締役
CEO

起業家としての自覚、スタート

起業を考え始めたのは、20歳頃でした。

その頃、周りにいる人たちが起業し始めて、気がつくと周りは経営者ばかりになっていました。知り合いが当たり前のように起業している中で、「起業」ということへのハードルが下がった。もともと、起業することは頭の中にあった。でもその時はまだ起業するキャリアは想像していませんでした。

大学1年の頃から、個人で営業代理店のような仕事を始めていました。知り合いの会社で営業の商材をもらって売った。それが、最初からけっこう売れたんです。おそらく、小学校の頃からの経験が理由かなと思っています。

小学生の頃、ネットでもリアルでも、商売みたいなことをしていました。月に10万円くらいは売り上げがあったんですかね。手元には数万円残ってました。その時に、そのお金で鈍行で東京から大阪に遊びに行ったりしていて、お金があると選択肢が増えるなと感じたことを覚えています。そこからお金を稼ぐことの必要性を感じていて、中学では一旦ストップしたものの、高校に入ってからは徐々に商売とかビジネスに関心を持っていました。起業と言わないまでもできそうなことはやってました。

とはいえ、まだビジネスをかじっていた程度でした。大学に入ってからが本格的な始まりですね。大学生になり、営業を本格的に始めました。漠然とでかくなりたいと思っていたからそれは当然の選択でした。まずは六本木に行って、成功していそうな人たちと知り合いました。そのつながりでさらに知り合いを増やして、優秀な人、実力のある人に仕事をもらうようにしました。

ただ、それでもまだ起業は考えていませんでした。若手で起業する人もそんなに多くなかったし大手企業や外資系などの世界の方が活躍できるイメージもあったんです。それで就職ルートで考えていたと。だけど、ある時20歳で大学をやめて起業した同年代の人と会ったときに、少し考えが変わります。この人で起業できるんだったらオレでも起業できるな。そう思った。その人がどうとかではなく、同年代で起業をしている人がいること、その人と自分を比較した時にそれほどの違いが見つからなかったんです。

一緒に死のう、と決意した起業

23歳、大学院1年の就活では大手、外資系も受けて内定も色々ともらいました。新卒にしてはかなりいいオファーももらったんですが、そういう世界で会った人たちも、本当にすごいと思う人たちは一握りで、頭の良さ、発想力、ビジネス力、それらを見ても、本当にすごい人らは起業してるなと。大手には頭のいい人は多いんですが、看板でものを語ってる人も多い。自分はどっちになりたいか、そう考えました。

ただ、やっぱり当時は「起業」の選択肢を明確に捉えていたわけではないから、大手メガベンチャーはすべて回って、その上でとあるゲーム会社に入ろうと思っていました。オファーもかなりいい金額、いい役職だった。M&A、事業再生とかをやれそうで、やりがいはあるなと。ただ、その頃すでにCOOの高原とのビジネスも開始していて同時並行ではありました。就職するか、起業するか、ちょうど並んでいたんです。

あるきっかけで、起業を完全に決意しました。高原と一緒に仕事をして姿勢もかなりいい、優秀なやつだと思いました。ありえないほどきつい案件も粘って、向き合って、調整して、なんとか納品し切れたときに、こいつと一緒にやろうと思って「死ぬ時は一緒に死のう」と高原に伝え、起業することを決めました。おれが勢いと発想力で突破して、高原が実務を回し、細かいところを詰めていく。ちょうどいいバランスで保っています。

勝負の半年、決意の1年

起業後はというと、1年目はただひたすら地下にいました。「ルイーダオフィス」という地下1Fにあるシェアオフィスみたいなところで、ひたすら受託開発をやっていた。まずは資金を貯めるというのを目標にしてビジネスを進める1年でした。受託で資金を貯めて、そのお金で新規事業を展開する。実際に当時も3つ自社事業があって、そのうち2つは業態を変える時に売却しました。

当時は信頼も実績も少ない。新規の営業は紹介から取っていました。紹介してもらえたら絶対に離さない気持ちでもぎ取る。案件をもらえたらしっかり成果を出せるようにコミットし切って価値を提供する。きついところでもやり抜く1年でした。

2年目には受託開発をやめて新規事業に挑戦する年だったわけですが、半年くらい事業がありませんでした。厳密にいうと、事業に挑戦しては失敗する。芽が見えても市場が狭かったりしてスケール性が低い。1年目の資金と、たまに入る案件などがあったから、死ぬことはないと思って勝負に出ました。

1年目から2年目でモデルチェンジを行なったんですが、その新規事業に挑戦する時期にはかなり苦労が多かった。事業はなく、今までいたインターン生たちも卒業してしまった。受託開発をしてきたこともあって、もう小さい市場で労働集約ビジネスはやりたくないと思っていた。それにお金を大胆に溶かしながら事業を進めるっていうのは怖いと思ってしまっていた。キャッシュポイントを作ってから事業を展開する投資はできても、向こう見ずにBtoCやCtoCを展開することはできなかった。でも、BtoBはやらずに、BtoCとかをやれればと思っていたんです。

ただ、自分と高原の力を見ても、やっぱりBtoBが強い。1年目受託で突き進めたのもそのおかげでした。気持ちを改めてBtoBをやろうと決意して、5月からエンジニアの人材事業に集中することを決めた。そこからは、一気に成長するフェーズが始まりました。

何かを信じて突き進め

そして3期目が始まる。HR系に特化して、プロダクトも3つリリースしました。成長につれてメンバーも増えた。その上で感じているのは、エンジニアも営業も職種を問わず、みんな異常に仲がよく、その間には一切壁がないこと。おそらくはエンジニア系の事業を展開しているからかもしれませんが、エンジニアと営業も同じ職種、くらい共存しているし、みんなが明るく、楽しそうに働いている。会社の外の人には「異常に仲がいい」とか「人の雰囲気がいい会社だね」とか、エンジニアも営業も問わず言われる。それは数人でやってる時には感じなかった「カルチャー」ができつつある証拠かなと思っています。

世界のIT企業、GoogleとかAppleのような企業にもあると思いますが「何かを信じて、社員が生きるように働ける」そういう会社にしたいと思っているんです。うちの会社の場合は、まだ小さい組織だけど、優秀なメンバーが自分の成長や会社の成長とか、将来を信じて働いている。だからこそできる事業もあるし、目の前の苦労も超えられる。

全員が伸びてる感を感じて、会社を信じてくれて、一緒に成長しながら事業も伸ばしていければいいなと思っています。メンバーはもちろん、組織も、そして自分も力が伸びている実感はあります。このままいけばまずはIPOを達成できるし、その上でM&A、投資領域とかそういう展開もしていきたいです。

常識を疑い続ける強者のマインドを持って

将来は、会社、組織らしくなっていくと思いますが、やっぱり個々人のやりたいこと、目標、目的を叶えられる場でありたいと思っています。働き方もそうだし、制度も、事業の体制もそう。

Branding Engineer(BE)のミッションである「Break The Common Sense」 は、文字どおり「常識をぶち壊せ」という意味です。このミッションには、私たちは既存の会社の概念にとらわれない組織になりたい。そういう思いも込められています。既存の会社のレベルを超えるためには、普通と違うことを考え、違う方法で戦い、そして自分のこともビジネスも成立させる必要がある。しかし、普通のやり方を超えるのは難しい。実現することができるのは優秀な人だと考えています。常識を疑い、新たな手法で勝ちに行く。そしてそれを成立させて、自分たちもユーザーも幸せな社会を実現する。Break The Common Senseはそういう思いを抱えているんです。

常識を疑い、合理的な世界を提供し続ける。個々人の思いを、会社を使って実現する。福利厚生や制度の整備やビジネスの成長を通じて、働く環境やビジネス面での成長、働く楽しさを感じ続けられるような組織であり続けたいと思っています。

 

河端 保志

1989年生まれ。2014年電気通信大学大学院卒業。同院にて人工衛星の姿勢制御の研究を行う傍ら、個人で営業活動やコンサルティング業務を経験。リクルートやDeNAでのインターンを経験したのち、2013年大学院在学中にBranding Engineerを創業。現在はCEOとして全ての事業の統括・管理を担当している。

他の社員のインタビュー記事も見る